ありがとう。
8月10日
「か…身体貸してください!」
「…は?てかちけーよ」
鼻先が触れてしまうかと思うほど近くにナカの顔が近い。
夏真っ盛りの8月だ。ウミとしては嬉しいが、この時期には少々暑い。
なぜナカが異様な汗をかきながら『身体を貸せ』などとつめよってくるのだろう。
ウミは疑問符ばかりの頭を抱え、一歩だけ後退する。
「来週9日と10日…わたしに下さいっ!」
「はぁ?なななんで俺が」
ナカのどもりが移ってしまったのか動揺が口に現れてしまう。
するとナカは、また一歩ウミに近づき、
「もももう、社長にはっ、話通してありますから!
どっどうか何も聞かず、身体を!」
そのいつも以上に必死なナカの姿に押され、承諾してしまった。
そしてしばらく経って、「身体を貸す」という言葉の意味を考え始め、ウミはよからぬ想像で夜も眠れないほどになってしまった。
8月9日。
それまでウミは冷静に考え、どうやらナカが自分の誕生日を祝うつもりだということは予測できた。
しかし、9日の夜からそれが始まるというのがウミの気になるところであった。
10日は家族でパーティーをすると風が言っていたが、もちろんナカとの約束を優先させる。
ナカの家に向かいつつ、ナカ母の出迎えをシュミレーションし軽くため息をついた。
…ピンポーンと、インターホンを鳴らすとナカの上ずった声が聞こえ、つい頬がゆるむのを感じた。
「いいいらっしゃいませ!
狭い家ですがどどどうぞ!」
家の中にいたのに見たことのない服に袖をとおし、うっすらと化粧をしているのが分かった。
ナカはこの日のために、精一杯自分を飾ろうと研究したのだった。
ウミは一瞬言葉も出なくなり、じっと見惚れていたが、はっと我に返り、
「ナ…ナカ母はいねぇのか?」
と、やっと言葉を発することが出来たのだった。
「あっ、うちの家族…その、おばあちゃん家に行っちゃって、その…
ウミの誕生日をうちでお祝いしたいって…言ったら、いい行っちゃったの」
ウミはそれを聞いてさらに意識してしまう。
そういうことになってしまうのは初めてではないが、ナカからの誘いということでつい想像しては緊張してしまう。
「そっそそそそうかよ」
「お茶いれるねっ」
「え…えっとですね、今日お呼びしましたのは、その…お誕生日をお祝いしたくて」
お茶を飲みながらしどろもどろになりつつも話す。
「で、その、明日は皆がお祝いするだろうから…今日、からしようと思って」
ウミはナカが話している間、その大きな瞳を真正面から見つめることは出来ず、潤んだ唇を見てはそらし、開き気味の胸元を見てはそらし、細く美しい黒髪を見てはそらす。
それを繰り返していた。
見てはいけないわけでもないのに何故だかそらさなくてはならない気分になってしまう。
「…ウミ、聞いてる?」
まるで付き合い始める前のようにナカの一つ一つの行動に緊張してしまうウミがいた。
きっとそれは、ナカもまた、緊張しているからだろう。
「ご飯食べる?はっ早いかな…
あっえっと、きききがねせず、泊まっていってね!」
そういってナカは台所へ走って行った。
途中で柱やらなにやらに頭をぶつけたりひっかかったりしている。
二人きりでいるとはいえ、今までにこんなにもドキドキしたときはあっただろうか。
ウミはなんとか、この胸の鼓動の速ささえも誕生日の贈り物だ、と思い込み平常心を保った。
「…まずくはない」
ナカの表情がぱあっと明るくなる。
こんなときでも素直に『美味しい』と言えない自分にひそかにため息をつき、箸をすすめた。
なにも言わないが、休むことなくたいらげてゆくウミを見ると、ナカにもちゃんと気持ちが伝わる。
「ケケケ、ケ」
「ケケケってなんだよ」
「ケーキも食べましょう!
ろうそくをこれでもかとさして!」
「ろうそくは歳の数でいーんだよ!!」
ろうそくの炎を一気に吹き消して、口に広がる生クリームの甘さ。
ふわりふわりとほどけるようにクリームのような甘いしあわせを味わうのだった。
「ウ、ウミ!お風呂入る前にちょっとこっち来て下さい!」
「あ?」
その手に握られていたのは花火のパックだった。
庭に出ると長かった昼はもう終わりを告げ、星が美しく輝いていた。
暗いのだが、かすかに碧くも見えるような空に混じって、空気さえもそんな色になっているように感じられる。
「花火…久しぶりだな」
「たくさんあるからね!」
バケツに水を用意してマッチとろうそくを持ってきた。
「綺麗だねー…」
「ああ…」
激しい光の中ではしゃぐナカがいる。
返事こそしているが、本当はナカしか見ていない。
ウミは自分が手に持っている花火が消えたのにさえ気付かないほどだった。
パチパチとはじける火花が今の自分の心のようで、とっさに首を激しく振ってしまう。
「ウウウミ…どうしたんでしょう…?」
恐る恐る近づいてきたナカに驚き、持てるだけの花火に火をつけ、振り回す。
「ひいいいっ!」
ナカはものすごい動きで後ずさった。
「…でも、綺麗…」
「…ふん」
二人はかがんで、小さな光に目を凝らす。
他の花火はなくなって最後に残った線香花火。
ゆっくりと火が火薬に引火し、細く明るく輝きだす。
「夏って感じだね」
「…ああ」
パチ、と音がして少しだけ激しくはじける。
「あのね、ウミ」
「あ?」
「今日、から祝いたかったのは、ね」
じりじりと火の玉が赤く震える。
「もう一つ、理由があってね」
パチ、大きな輝きが、
「日付が変わるその瞬間、ウミが生まれたその日の一番に『ありがとう』って言いたかったの」
花、開いた。
「…は」
「もっもちろんおめでとうも言うよ!…だけど」
二、三度はじけて、輝いて。また、小さく。
「…もうすぐ、だね」
最後に細かく、速く。
「生まれてきてくれて、ありがとう、ウミ」
そして、落ちた。
「こここれからもっ、一緒にいてください!」
ナカは自分をまじまじと見つめ、ほうけているウミの頬に手を添え、
高鳴る心臓をおさえながらそっと、唇を重ねた。
触れた頬は熱く、そしてまた触れ合った唇も熱を帯びていた。
「ウミ?」
「…おい」
ナカの頭を引き寄せて貪るように唇を重ねた。
まるで消えかけた花火が、突然また発火するかのように。
息つく暇もあたえない、はじけるような熱いキス。
離れたときの二人の吐息は熱に侵されていた。
「ナカ」
「え?」
「俺も、生まれてこれたことに感謝…してる」
夜の闇は二人の言葉を滑らかにさせる。
「てっ、てめ…、ナカに出会えてこうして傍にいられっから」
夜の闇は二人の距離を縮める。
そして、明かりのついた家に吸い込まれ、熱のこもった二つの影は迷うことなく重なったダッシュダッシュ
「ウミ…」
「なんだよ」
「誕生日プレゼント、まだ渡してない…」
「別にいんだよ」
ウミはその指でナカの髪を絡めとる。
なんとなくベッドから出たくない雰囲気に負け、
「あっ、あとで渡すけど…苺ちゃんたちに協力してもらって…セルフポートレートっていうのかな?
いろいろ悩んだけど、堤さんが絶対これがいいっていうから…」
くそ堤が…、と何もかも見透かした彼に悪態をつき、ナカの額に唇を寄せた。
「…サンキュ」
何よりも大きく映る、赤く染まったウミの顔。
ナカは控えめにウミの胸に顔をうずめ、
「お誕生日おめでとう…」
と、改めて呟いた。
誰よりも愛しい人に、その命の喜びを。
fin.
****
あとがき。
ウミのハッピーバースデーです!
ぎりぎり裏描写はありません笑
本当は誕生日プレゼントのことも細かくしたかったんですが…(力不足)
精進いたします!
written by..澪