あなたは、黒猫。
猫
「あっあかん…」
蜜柑はそのすがるような視線から必死で目をそらす。
「そっ、そんな目で見んといて…」
容赦なく擦り寄ってくる体に頭を抱えながら蜜柑はひたすら逃げる。
その鈴が鳴るような甘えた声も計算ずくのことなのだろうか。
「あー!もう!分かった!なんか餌持ってきたる!」
その言葉を理解したかのようにゴロゴロとのどを鳴らす。
黒い猫。
蜜柑はクラスの用事を頼まれた帰りに偶然裏庭に寄った。今思えばそもそもそれが間違いだったのだ。
普段なら見かけることのない猫を見つけてしまい。
蜜柑はその好奇心から野良猫にしては艶やかな毛並みに誘われるようにしてどんどんそれに近づいて行ってしまった。
すると黒猫は赤く短いその舌で差し出されていた蜜柑の指を舐める。
最初は猫の愛情表現かとも思ったが、あまりにも長いのですぐに空腹アピールだということが分かった。
逃げようとしてかろうじて指を離すことが出来ても蜜柑をすがるような目つきで見上げる。
そして、今に至るのだった。
結局蜜柑はその日学園を走り回って餌となるものを確保して来たのだが猫のほうは味をしめて毎日のように蜜柑を見つけては付いてくるようになってしまった。
「猫にたかられるウチって…」
観念した蜜柑は今日もまた餌をやりに裏庭に来てため息をついた。
しかし猫は知ってか知らずか、めったに振り回すことのない美しい漆黒のしっぽを振りながら美味しそうにむさぼっている。
その行為はさておき、黒猫の姿をまじまじて見てから、やはり高貴な雰囲気のある猫だなあと感じる。
そして、黒猫といえばもう一つ、鮮明に大きく脳に半ば強制的に映されるものがある。
それは 日向棗。
蜜柑の恋人であり、全てに影響する黒、だった。
そういえば、初めて出会ったときも黒猫と呼ばれた姿だった。
そんなことを思い返していると、いつもたちまち思い出がフラッシュバックしてきていちいち照れたり悲しくなったり嬉しくなったり…してしまうのだ。
ふと気付くと、黒猫がそんな蜜柑の百面相を怪訝そうに見つめていた。
「…猫さん。そんな目で見んといて」
しかし猫は返事をしようとはしない。
「返事くらいしいやっ…て、ウチまだあんたに名前もつけてなかったな。
どうりで呼びにくいと思ったわ。
…ウチが飼っとるも同然やもん。付けたる!」
そう意気込んで次の瞬間早速自分の世界に入りこんでしまった。
――黒猫やからなあ…
やっぱクロ?それじゃ単純すぎるしなあ…
イメージとしては…
もう一度まじまじと猫を凝視する。
――棗しか…思い浮かばへんのやけどなあ…
しかしそれではあまりに馬鹿みたいだと否定はするがやはり一旦イメージがついてしまうとなかなか抜け出せない。
ついに蜜柑は、
――よし。誰もここに来るわけじゃないしバレへん!
と、結局「なつめ」という名前にしてしまった。
意外とロマンチストな自分に苦笑しつつ、名前を呼んでみる。
「おいでなつめ。あんたの名前はなつめよ」
いつものように手招きしてみるがなんの反応もない。
まるで人事のようにそっぽを向いてしまう。
「なーんーでーやあ!可愛くない猫!…やっぱりあんたはなつめや」
不本意ながらその意外な共通点を知ったことでまた頭の中が棗でいっぱいになってしまう。
しゃがんでその余韻にひたるかのように、無言でその気まぐれな猫を見つめる。
「棗…」
「なんだよ」
聞き慣れすぎたハスキーボイスがこだまする。
驚きのあまり体が一瞬ビクっと震えた。
なるべく落ち着いて声を思い出すと
音の出所はどうやら上のようだと気付いた。
眩しすぎる太陽に目を細めながらでもはっきりと見える愛しい人。
木の上に上って蜜柑を見下ろしているその視線はずっと求めていたものだった。
「なっなつめぇ〜…!?」
「だからなんだよ」
そう言葉を投げ捨てて木から飛び降りる。
静かに風が舞い上がって蜜柑の柔らかな髪が揺れる。
意外にも警戒心の強い黒猫には何も変化はない。
「さっきから人の名前を何回も…なんだよ」
「さっきからって…あんたいつからおったん!?」
気が動転してはいるが言葉は案外と聞きたいことを明確に紡ぐことが出来た。
「最初から。最近ずっとここにいた」
「全部見てはったってことですね…」
棗のからかうような端正な笑みにもう手も足も出ない。
「全部見てたんなら分かるやろー?
こっちの 『なつめ』 が返事してくれへんのんよ」
そして蜜柑はまた手招きをする。
「まあそりゃそうだろうな」
そして棗も黒猫なほうをむく。
目が合った瞬間、先程までの蜜柑への態度が嘘のように棗に近寄っていく。
「なっ…」
「こいつにはちゃんと名前があんだよ。なあ…みかん?」
にゃー…と応えて棗の足元にすりよる。
「みみみっみかんってあんた…!そいつの飼い主はあんたか!」
「…まあ最近だけどな」
「うううちの名前っ」
蜜柑が興奮して棗に何かを言いかけたがその身体は棗の腕に引き寄せられる。密着した棗の身体がもう蜜柑に何も言わせようとはしなかった。
「やっぱ…呼んでも返事が猫の鳴き声は気にくわねぇ。
俺がいつ名前を呼んでもいいように常に俺様の隣にいろ」
赤いバラの毒が耳から全身に回ってきているようなそんな感覚。
身体はしびれて動かない。
かろうじて動くのはこの小さな脳と唇のみ。
そっと大切な宝石を包みこむようにささやく。
「…言われんでも…うちの隣もうちの時間も、あんただけのもんや」
ほてった頬をごまかすためにおおげさにつけたす。
「あっ蛍と半分やけどな」
それが棗の地雷をふんでしまい。
かろうじて動かすことの出来た唇はふさがれ、もっと黒い毒に侵された脳も今は正常には動かない。
足元の猫は気まぐれに背をむけゆったりと歩いていってしまったので、蜜柑はそっと目を閉じ、甘い黒猫の腕を受け入れた。
fin.
****
あとがき。
棗はなんかエロいですよね。(いきなり)
そこの蜜柑とのギャップが可愛くて大好きな二人です!
もちろん…超えてる設定です★(きっといつか書きます。裏)
written by...澪